
この画像から、旅が始まる
画面に映し出されているのは、広島PARCOの最上階から捉えた本通り商店街のいまの姿です。まっすぐに突き抜けるアーケード、その隙間から覗く街灯のきらめき、そして遥か彼方に佇む山並み。普段は通りを歩く一人として賑わいの中にいますが、こうして高い窓から鳥の目で俯瞰すると、いつもの買い物風景がどこか神秘的で、洗練された表情を見せてくれます。
毎日大勢の足音が響くこのストリートには、どれほどの歳月と人々のドラマが刻まれてきたのでしょうか。
もしもこの画像がタイムマシンの役割を果たし、ここから過去の風景を覗き込めたとしたら――。
【昭和】キリンビアホールと、青空の下の熱気

時計の針をぐっと戻して「昭和」の時代へ。いま私たちが立っている館の足元には、1938年(昭和13年)から平成初期にかけて、広島市民の憩いの場として親しまれた「キリンビアホール」が構えていました。
美味しいビールと名物料理を囲み、大勢の笑い声が弾んでいたその場所は、1945年の原爆投下によって一瞬で焼け野原となった地域の中で、奇跡的に建物の外郭を残します。店内は全焼したものの、被爆からわずか10日ほどで瓦礫の残る店頭に立ち、臨時の「ビール立ち飲み処」をオープン。傷ついた人々に温かい励ましとともに一杯を届け、同年末にはいち早く館内での営業再開へと漕ぎ着けました。まさに復興への希望を繋いだという逸話が、今も語り継がれています。(※現在も本館西側の外壁には、当時の被爆タイルが大切に保存されています)
当時の商店街に目を向けると、まだ現在のような立派なアーケードはなく「むき出しの青空」が広がっていました。手書きの看板やネオンがひしめき、夕暮れ時には路地裏からご飯の匂いが漂う――。そこには、泥臭くも圧倒的な熱量を持った人々の日常がぎっしりと詰まっていたのです。
【平成】PARCOの誕生と、トレンドの発信地へ

時代が「平成」へと移り変わると、この場所の景観とカルチャーは大きな転換期を迎えます。
平成の幕開けとともに、本通り商店街はいち早く全天候型のモダンなアーケードへと進化。雨の日でも快適に街歩きを楽しめるショッピングストリートとして、先進的な姿へと生まれ変わりました。
そして1994年(平成6年)、満を持してキリンビアホールの跡地に「広島PARCO」がオープン。ファッション、音楽、アートといった最新の流行が一気に流れ込み、街は若者たちが集う最先端のトレンド発信地へ。こうして、広島の都市文化を象徴するスタイリッシュな街並みが完成していったのです。
【令和】Z世代の心を掴む、進化するポップカルチャーの街

時代は巡り、「令和」の現在へ。
いま、広島PARCOや本通り、そして一歩足を踏み入れた裏通り(袋町・中町)を見渡すと、SNSで話題の「映えスイーツ」や韓国系ショップ、話題のアニメ・ゲームのポップアップ、大型のカプセルトイ専門店など、若い世代の感性に寄り添ったコンテンツが街の至る所に溢れています。
スマホを手に新しいトレンドを探して歩く10〜20代の姿が目立ち、最新のユースカルチャーと日常がキュッと凝縮された、今まで以上にポップでエネルギーに満ちた空間へとアップデートされています。
【街の過去と未来を繋ぐ】時代を超えて脈々と息づく熱量
昭和から令和へと時代が移り変わり、大人の憩いの場だったビアホールから若者が集うトレンドビルへと街の姿は変わってきました。
けれど、ここでふと立ち止まって考えてみると、この場所が果たしてきた役割の本質はずっと変わっていません。実は「PARCO」という言葉は、イタリア語で「公園」を意味します。緑の芝生に誰もがふらりと集まり、思い思いに憩い、新しい出会いに胸を躍らせる——そんな街の「広場」のような存在でありたいという思いが、その名には込められています。
大人たちが乾杯を交わした昭和のビアホールも、トレンドに胸を躍らせた平成のストリートも、そしてSNS世代が新しいカルチャーを楽しむ令和のいまも。形こそ変われど、ここはいつの時代も人々が集い、笑顔を交わす広島の「公園」であり続けてきました。
次にこの場所を訪れ、高い窓から外を眺める機会があれば、ぜひ景色の奥に視線を凝らしてみてください。現代のフレッシュで活気あふれるパノラマの向こうから、この街を愛した先人たちの思い出と、これから未来を創る若い熱気が交差する音が聞こえてくるかもしれません。
最新の催しや期間限定ショップの案内は 広島PARCO イベント・ポップアップ情報 からチェックできます。

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