
🏠水面近くに身を伏せ、街の暮らしを支え抜く
中筋と古市の境界を繋ぐその場所を訪れると、どこか清々しい気持ちになります。きらびやかな装飾こそありませんが、力強いコンクリートの直線が描く姿は、実直な職人のよう。
昭和3年に産声を上げ、低い位置で川をまたぐその姿は、昭和20年の大洪水では身を削りながらも、安佐南の日常を今日までひた向きに支え続けてきました。飾り気のない低い構えには、幾多の苦難を越えてきたものだけが持つ、静かな意志が宿っているように見えます。
🚥暮らしを支える仕事場へと繋ぐ、大切な道
この場所に橋が架けられた背景には、対岸にある「古市」という、人々の暮らしを支える仕事場へたどり着かなければならない、切実な理由がありました。
かつての古市は、太田川の水運を活かした川舟が行き交い、街道が貫く交通の要所。この橋は、中筋側の人々がその賑やかな町へ行き、農産物や麻を運んで生活の糧を得るための、なくてはならない命綱でした。江戸時代の記録に「麻縄は古市から出る」と記されている通り、この橋はまさに、周辺で育てられた麻を仕事場へと運び、人々の暮らしを繋ぎ止めていたのです。
🏭白き鼓動と、町の生業を支えた息吹

かつてのこの周辺は、今では想像もつかないほどの活気に満ちていました。明治から大正にかけ、町には麻を煮る釜の煙突が立ち並び、早朝から黒い煙を吐き出していたといいます。
町を支えたのは、凍てつく冬の安川で行われた「オコギ(苧扱ぎ)」という手仕事でした。これは、煮て柔らかくした麻の皮を木製の箸でこそぎ落とし、中から真珠のように光る繊維だけを取り出す作業。腰まで川に浸かり、手の感覚がなくなるほどの冷たさの中で、女性たちは互いを励ますように「おこぎ唄」を歌いながら、一心不乱に麻を洗いました。川一面を流れる真っ白な麻の繊維は、当時のこの町を支える産業そのものであり、人々の誇りでした。時代の変化とともに風景は変わりましたが、この周辺には常に、それぞれの時代を懸命に生きようとする人々のたくましい呼吸が刻まれています。
📷レンズが切り取った、ごくありふれた「日常」

散歩の途中、私は足を止め、欄干越しに静かに川面を見つめました。ポケットからスマホを取り出し、目の前の景色を一枚、写真に収めてみます。
そこに映し出されたのは、広々と続くアスファルトの路面と、遠くに聳えるマンション群、そして穏やかな空。かつて女性たちが川一面を純白に染めたという「オコギ」の残像は、一見するとどこにも見当たりません。
かつての人々の往来を支えた場所は、今は静かな生活道路となり、収めた写真は、豊かな歴史を土台にして、何事もなかったかのように動き続けている現代の日常そのものでした。
けれど、スマホをポケットにしまい、古びたコンクリートの橋脚にそっと触れてみると、春の太陽をたっぷりと蓄えた温もりが伝わってきます。それは単なる構造物としてではなく、今この瞬間も人々の往来を、そして確かにこの場所にあった歴史を支え続けている「生きた場所」なのだと、静かに語りかけてくるようです。
この街が呼吸し続けるための、静かに見守る橋
時代の変化とともに、かつての複雑な川筋は姿を変え、役目を終えた川の跡には今では穏やかな街並みが広がっています。それでも、古市で「麻の町」の記憶を伝えようとする温かな活動は、今も大切に続いています。
朝、元気よく駆けていく学生たち。夕暮れ時、笑顔で挨拶を交わす地域の人々。かつて煙突の煙を見上げ、川舟に荷を積み、凍てつく川で麻を紡ぎ出した先人たちが守りたかったのは、まさにこうした何気ない「平和な日常」そのものでした。

三つの川の記憶を宿し、幾多の氾濫や時代の波を乗り越えてきたこの橋が紡いできた時間は、この街を歩く私たちにとって、かけがえのない大切な記憶です。
広島の街が明日もまた新しく動き出し、誰もが穏やかに一日を終えられる。そんな当たり前の日常を、この橋はいつもと変わらぬ姿で、私たちの足元から支え続けています。
その橋の名は――三川橋(みかわばし)。
かつての白き麻の記憶をその身に刻みながら、安佐南の新しい日々を、今日も静かに繋いでいます。


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