広島駅前の変貌に驚き、辿り着いた「猿猴橋」🍑🐒🦅大正モダンの意匠が語る街の記憶

平和

🐒移り変わる駅前で見つけた【記憶】

休日の昼下がり、新しくなった広島駅周辺を久しぶりに歩いてみました。2025年に路面電車のルートが変わり、高層ビルが立ち並ぶ風景は、私の幼少期の記憶にある街並みとはずいぶん様変わりしています。

「まるで別の街に来たみたいだ」と、驚き寂しさを感じながら歩みを進めました。そんな中、足を止めたのが「猿猴橋(えんこうばし)」です。実はこの橋も、私の記憶にある姿とはずいぶん変わっていました。しかし、それは単に新しくなったのではありません。激変する景色の中で、この橋だけは揺るがない「街の記憶の拠り所」として、確かな存在感を放っていたのです。


📸インスタ映えポイント「地球を掴む鷲」

橋の両端に立つ親柱のてっぺんでは、翼を広げた鷲が地球儀をガシッと掴んでいます。この豪華な鷲の像は、SNSでも人気の撮影ポイント。大正時代の広島が持っていた「大陸へ進出するぞ」という上昇志向がデザインされているそうです。

この装飾は、かつて工事を請け負った妻木組が私財を投じてまでこだわり抜いた、当時の広島の誇りそのもの。戦時中に一度は失われましたが、2016年に当時の写真を元に、市民の寄付などによって執念の復活を遂げました。まさに復興のシンボルといえる存在です。

🦅被爆を耐え抜いた「力強い橋」

一方で、歴史愛好家や橋マニアからは「被爆の歴史を刻む現役の遺産」として高く評価されています。1926年(大正15年)に完成したこの橋は、爆心地から約1.8kmという距離で被爆しながらも、その構造で落橋を免れました。

そもそも「猿猴」とは、この地方に伝わる河童の一種。江戸時代から「広島一の橋」と称された歴史を持ち、かつては木造で何度も架け替えられてきましたが、大正に永久橋となったことで、原爆という想像を絶する衝撃にも耐える力強い橋となったのです。現在の姿は、戦時中の金属類回収令で装飾を奪われた悲しい過去を乗り越え、当時の図面をもとに忠実に復元されたものです。


🐒大正の設計を蘇らせた「現在」

平成28年(2016年)、被爆70周年記念事業として往時の姿を取り戻した猿猴橋は、今、歴史を後世に伝える「生きた遺産」としての役割を担っています。親柱の鷹や欄干の猿猴には、一方が口を開け、もう一方が閉じる「阿吽(あうん)」の表情が忠実に再現され、平和への祈りと地域の安寧を見守っています。橋の袂には頼山陽の詩が刻まれたモニュメントや、保存された「被爆石」が静かに佇んでおり、かつての文人が眺めた旅情と、現代の平和な時間が交差する場所になっています。2025年のルート変更を経て、現在は人々がゆったりと歩ける落ち着いた散策路へと生まれ変わりました。


🍑🐒🦅橋を渡るたび広島の物語を歩く

今回の探索で、橋を渡るたび、広島の知らない物語に出会えるのだなと改めて感じました。

一つの橋を深く知ることは、そのままこの街の歩みを理解することに繋がっていました。大人になって歩く広島の街は、幼少期には気づかなかった石柱の細工や、被爆を耐えた歴史の深さを新しい発見に満ち溢れていました。

カメラを片手に、次はどの「街」を深掘りしていこうか。道を歩き、橋を渡るたびに、景色の中に眠る物語を見つけていきたい。これからも自分の足でこの街を歩き、広島の魅力を探索し続けていきたいです。


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