新しい年を迎え、広島の各地で伝統行事への期待が高まる季節です。秋の訪れとともに、広島県庄原市東城町に響き渡る法螺貝の音。それが、400年以上の歴史を誇る県指定無形民俗文化財**「備後東城 お通り(びんごとうじょ おとおり)」**です。
関ヶ原の戦勝を祝う武者行列に始まり、江戸時代の泰平の世で育まれたこの行事は、総勢約200人が練り歩く壮大な時代絵巻として今に受け継がれています。今回は、その深い歴史と魅力をご紹介します。
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1. 1601年、戦勝の歓喜から始まった「武者行列」
「お通り」の歴史は、江戸時代の幕開けとともに始まりました。1601年(慶長6年)、関ヶ原の戦いでの功績により広島藩主となった福島正則は、三家老の一人である**長尾隼人正一勝(ながお はやとのしょう かずかつ)**を東城一万石の城主として任命しました。
五品嶽(ごほんたけ)城主となった長尾氏が、関ヶ原の戦勝を祝して、従来の祭礼の神輿行列に勇壮な「武者行列」を加えたことが、この行事のルーツとされています。戦乱の世から泰平の世へと移り変わる中、勝利の喜びと街の安寧を願う祈りが込められた始まりでした。
2. 享保年間に誕生した「お通り」の呼び名
福島氏の後に広島を治めた浅野家の時代、秋祭りはさらに盛大になりました。11月1日から5日にかけて、川西八幡宮から世直神社まで各所で行われたため、当時は**「五日催し(いつかもよし)」**と呼ばれていました。
現在の「お通り」という呼び名が定着したのは、1719年(享保4年)のことです。東城浅野家の祈願により、川西八幡宮と天神社の神輿が東城の街へ神幸(しんこう)することとなりました。
祭典の最終日、両神輿が行列を組み、街筋を巡行しながら八幡宮へと還っていく神輿渡御(みこしとぎょ)行列。この最終日の荘厳な光景を、人々は親しみを込めて**「お通り」**と呼ぶようになり、それが現代まで続く行事名となりました。
3. 総勢200人が織りなす現代の時代絵巻
現在では「お通り保存振興会」を中心に、毎年11月初旬に開催されています。行列は以下の四つの要素で構成され、歴史の息吹を今に伝えています。
- 大名行列: 殿様を中心に、槍持ちや弓持ちが続く威風堂々とした行列。
- 武者行列: お通りの起源を象徴する、勇壮な鎧武者たちの隊列。
- 母衣(ほろ)行列: 色鮮やかな造花で飾られた母衣を背負う、お通りのシンボル。
- 華童子(はなわらべ): 華やかな衣装に身を包み、お祭りに彩りを添える子供たち。
白壁の家々や「なまこ壁」の蔵が並ぶ古い街並みを、約200人の行列が練り歩く様子は、まさに「動く歴史絵巻」そのものです。
4. 📍 備後東城 お通り 基本情報
お通りの詳細は、歴史背景から当日の様子まで、保存会が運営する公式サイトで詳しく紹介されています。
| 項目 | 詳細情報 |
| 主な会場 | 広島県庄原市東城町 商店街一帯 |
| 開催時期 | 毎年11月初旬(※2026年の日程は下記公式サイトを確認) |
| 見どころスポット | 三楽荘(さんらくそう)付近: 明治期の建築美を誇る施設前は、最高の撮影ポイントです。 |
| アクセス | 中国自動車道「東城IC」から車で約5分。JR「東城駅」から徒歩すぐ。 |
| 詳細・歴史情報 | 備後東城 お通り 公式サイト |
| 近隣の立ち寄り先 | 「竹屋(たけや)」: 明治時代からの趣を残す歴史的建造物で、街並みの象徴です。 |
最後に
備後東城のお通りは、400年前の戦勝祝いから始まり、地域の平和を願う神事として磨き上げられてきました。長尾氏が持ち込んだ勝利の活気と、浅野家が整えた祭礼の伝統。そのすべてが、今も東城の人々の手によって大切に守られています。
秋の爽やかな風を感じながら、歴史の重みと人々の愛がつまった時代絵巻を、ぜひその目で確かめてみてください。


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