2024年2月、広島市の中心部にエディオンピースウイング広島が誕生しました。このスタジアムは、単なるスポーツ施設ではなく、「恒久平和と、夢や希望を持って明るい未来へ羽ばたく」という願いが込められた、広島にとって特別な場所です。
しかし、この夢のスタジアム実現までには、実に12年以上にわたる市民や行政、企業による熱い議論と努力の歴史がありました。
この記事では、「街なかスタジアム」という画期的なコンセプトが、どのようにして平和都市・広島のシンボルとして形になったのか、その建設の道のりと、そこに込められた市民の願いを紐解きます。
※この記事に掲載している画像はイメージです。実際の団体、個人、店舗、商品などとは異なる場合があります。
1.夢の始まり:2012年のリーグ初優勝と建設機運の高まり
サンフレッチェ広島が長年の懸案として抱えていたのが、ホームスタジアムの場所でした。それまでの本拠地は郊外にあり、アクセス性の面で課題が指摘されていました。
新スタジアム建設の機運が一気に高まったのは、2012年。サンフレッチェ広島がJリーグで初の年間優勝を果たしたことがきっかけです。この快挙は、**「広島にも、都市の中心部にふさわしいサッカースタジアムが必要だ」**という市民の願いを明確な形にしました。
この時、多くの市民、サポーター、そして地元の経済界が立ち上がり、「スタジアムを街なかに」という目標に向けて具体的な行動を開始しました。
2. 12年間にわたる場所選定の議論と調整
建設機運が高まってからも、スタジアムの場所をどこにするか、その議論は難航しました。中心部に大規模な施設を建設することには、費用や交通、周辺環境への配慮など、多くの課題があったからです。
長年にわたる議論と検討を経て、最終的に建設地として選ばれたのは、広島市の中心部、旧広島市民球場跡地を含むエリアでした。
この場所は、原爆ドームや平和記念公園からほど近いという、世界的にも類を見ない立地です。この決定は、単に利便性を追求しただけでなく、スタジアムに平和の発信拠点としての役割を担わせるという、広島ならではの強い意志を反映していました。
- スタジアム建設に尽力した主な主体
- 広島県
- 広島市(整備主体)
- 広島商工会議所
- サンフレッチェ広島
- 多くの市民とサポーター団体
3. 「平和」と「希望の翼」に込められたメッセージ
2024年2月、ついにスタジアムは開場しました。スタジアムの正式名称であるエディオンピースウイング広島には、広島が世界に伝えたいメッセージが凝縮されています。
- 「ピース(PEACE)」: 恒久平和を願う広島の普遍的なメッセージ。
- 「ウイング(WING)」: 夢や希望を持って明るい未来へ羽ばたくという願い。そして、特徴的な翼をイメージした屋根のデザインにも由来しています。
このスタジアムは、戦争による焦土からの復興を果たした広島が、今度はスポーツと文化を通じて、世界に平和を創造する場となることを目指しています。
実際に、スタジアム内には、平和へのメッセージを発信する施設が常設されています。
平和の発信拠点としての魅力
スタジアムの東スタンド1階には、広島サッカーミュージアムが併設されています。このミュージアムでは、被爆からの復興と、その中で広島サッカーが果たした役割についての展示が行われています。
また、スタジアム内には、漫画『キャプテン翼』の作者である高橋陽一氏が平和をテーマに描き下ろした巨大壁画**「Peace Wall」**が常時展示されており、国内外の訪問者に平和の大切さを伝えています。
4. まちと共生する「都心交流型スタジアムパーク」という未来
エディオンピースウイング広島は、日本で初めての「都心交流型スタジアムパーク」をコンセプトに設計されています。これは、試合のない日でも市民が利用し、賑わいを創出することを目指すものです。
スタジアムのパークコンコース(2階の回遊路)は、試合日以外でも開放されており、市民の憩いの場、散歩道として利用されます。
このスタジアムは、広島の「歴史」である戦後復興の願いを受け継ぎ、利便性やエンターテイメント性といった「魅力」を融合させることで、広島の**「街の新たなハブ」**として機能し始めています。12年の物語を経て実現したこの翼は、これからも広島の未来を照らし続けるでしょう。


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