⛩️ 【歴史と格式】海田町「西国街道」探訪:宿場町・海田市と広島藩御用達「旧千葉家住宅」の格式

文化

広島市に隣接する安芸郡海田町(かいたちょう)。現代ではベッドタウンとして知られるこの町は、かつて江戸時代、大坂と下関を結ぶ主要街道西国街道」の**宿場町「海田市(かいたいち)」**として、重要な役割を担っていました。

この街道沿いには、当時の賑わいと広島藩の歴史を今に伝える貴重な建物や史跡が残されています。

この記事では、西国街道の歴史に触れながら、海田市の中心地として機能した**「旧千葉家住宅」**の格式高い魅力と、街道沿いの見どころをご紹介します。


※この記事に掲載している画像はイメージです。実際の団体、個人、店舗、商品などとは異なる場合があります。


〇海田町が宿場町「海田市」として栄えた歴史

海田町に宿場が整備されたのは、江戸時代初期の寛永10年(1633年)頃。西国街道の宿駅として**「海田市宿」**が設けられ、大坂と下関(または九州)を結ぶ主要な宿駅の一つとして発展しました。

海田市は、参勤交代を行う大名や幕府の役人が休泊するための「御茶屋」(広島藩独自の名称。他藩では本陣と呼ばれる)が設置された、格式ある宿場でした。ここでは、伝馬役として人や馬が常備され、物資の輸送や旅人の送迎が行われ、町は活気に満ちていました。

その賑わいの中心地であり、海田町の歴史を語る上で欠かせないのが、江戸時代を通じて宿駅の要職を担った旧家です。

〇広島藩御用の格式!旧千葉家住宅の魅力

海田市の旧街道沿いに堂々と建つ**旧千葉家住宅(きゅうちばけじゅうたく)**は、当時の繁栄を象徴する歴史的建造物です。屋号を「神保屋」と称した千葉家は、単なる商家ではありませんでした。

  • 役職を兼務: 江戸幕府の書状や荷物を扱う「天下送り役」や、広島藩の荷物を扱う「宿送り役」といった、公的な役職を代々務めていました。
  • 要人の休泊: 脇本陣に準ずる施設として機能し、参勤交代の諸大名や藩の上級役人が休泊する場所としても利用されました。

建物は、座敷棟が安永3年(1774年)の建築と伝わるなど、江戸時代中期〜後期の建築様式を今に伝える貴重な遺構です。その座敷棟は広島県重要文化財に、当時の情緒を伝える泉庭は広島県名勝に指定されています。

旧千葉家住宅の一般公開情報

海田町の歴史と文化の中心であるこの貴重な建築は、一般公開されています。(※詳細な公開日程は、必ず海田町ホームページ等でご確認ください。)

施設名旧千葉家住宅(きゅうちばけじゅうたく)
所在地〒736-0066 広島県安芸郡海田町中店8-31
公開時間10:00~16:00
一般公開日毎月第2・第4土曜日の前日から連続する4日間
料金無料
アクセスJR海田市駅より徒歩約5分
備考団体見学は要事前申請。織田幹雄スクエアの駐車場を利用可能。

※上記情報は海田町公式情報を基にしていますが、施設の都合により公開日が変更となる場合があります。訪問前に必ずご確認ください。

〇宿場町巡りで出会う文化と歴史の痕跡

海田市の西国街道沿いには、旧千葉家住宅以外にも、宿場町の歴史と文化を感じられるスポットが点在しています。

1. 熊野神社と三十六歌仙絵馬

海田市の氏神様として信仰を集めてきた神社です。現在の拝殿は文政8年(1825年)の建築で、その幣殿には、広島藩の絵師が描いた**「三十六歌仙絵馬」**が掲げられています。当時の藩儒や藩士が歌詞を清書し奉納したもので、宿場町の文化的側面を今に伝えています。

2. その他の宿場町時代の旧家

旧千葉家住宅の他にも、当時の脇本陣や庄屋を務めた三宅家住宅(非公開の場合あり)など、江戸時代の面影を残す旧家が点在しています。古い町並みを散策することで、往時の賑わいに思いを馳せることができます。


〇終わりに:時を越えて残る海田町の魅力

海田町は、西国街道の宿場町として栄えた歴史と、それを守り伝えてきた人々の営みが息づく魅力的な町です。

現代の交通拠点であるJR海田市駅からわずか数分歩くだけで、江戸時代へタイムスリップしたかのような静かで格式高い歴史の空間が広がります。歴史散策を通じて、海田町の奥深い魅力をぜひ体感してください。

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