休日、雲ひとつない青空があまりに気持ちよくて、ふらりと外へ歩き出しました。 ずっと気になっていた、古市から中筋までの道のり。JRの古市橋駅で降りて、街の空気をゆっくり吸い込みながら、のんびりと歩みを進めます。
柔らかな日差しに包まれて、歴史の気配が残る町並みを抜けていくと、視界が開けて、豊かな水を湛えた古川が姿を現しました。

街道の記憶を背負う、凛とした「門番」の横顔
そこに架かっているのは、派手さはないけれど、どこか背筋をぴんと伸ばしたような、凛とした佇まいの白い鉄の橋です。
今の街に静かに溶け込んでいますが、実はこの橋、昭和33年に生まれ変わった姿。それよりずっと昔は、木の温もりある橋だったといいます。かつて山陰へと続く街道の入り口だった頃、馬や荷車がガタゴトと木の板を心地よいリズムで鳴らして渡っていく……そんな賑やかな音が聞こえてくるようです。
戦後の復興を駆け抜け、「これからは鉄の時代だ」と力強く架け替えられた時の誇りが、今もこの橋のどこか誇らしげな佇まいに残っているのかもしれません。
川面に艶やかな繊維を晒した、巨大産業「広島の麻」

橋の袂で足を止め、かつての風景にそっと心を寄せてみてください。この場所には、広島の暮らしを支えた、とてもひたむきな物語がありました。
足元の古川周辺は、かつて日本有数の「麻(あさ)」の生産地として知られていました。 収穫された麻を蒸して皮を剥ぎ、大きな釜でグツグツと煮る「ニコギ(煮扱ぎ)」。かつてこの古市の街には、そんな煮扱屋が50軒も立ち並び、街中が麻の熱気に包まれていた時代があったのです。
そして、仕上げは川の仕事へ。煮上がった麻を冷たい川水にさらし、竹の箸で皮をこそぎ落としていく「オコギ(苧扱ぎ)」が行われました。その当時の記述を辿っていると、ふとした瞬間に、おこぎ唄が風に乗ってどこからか流れて聞こえてくるようでした。
「ひとり娘は古市へやんな 師走ご寒川で住む」
娘を想う親心の切なさが、風に揺れる歌声となって響きます。凍えるような冬の川辺で、白く艶やかな繊維を丁寧にゆすぐ女性たちの指先。その過酷な作業の向こう側には、自分たちの手仕事が日本一の品質を支えているという、静かだけれど折れない誇りが、確かに息づいていました。
日本一の品質と、生活を支えた「広島の麻」
ここで生まれた真っ白な繊維は、職人たちの手で一本一ずつ丁寧につなぎ合わされ、やがて美しい糸へと姿を変えていきます。
その品質の良さは「日本一」とまで称され、広島で作られた麻糸は西日本一帯へと広がっていきました。夏場の眠りを守る「蚊帳(かや)」、足元の「畳縁(たたみべり)」、そして丈夫さが命の「漁網」や「釣り糸」……。広島の麻は、目立たないけれど、人々の暮らしのいちばん近いところで、日々を力強く支えていたのです。
この橋は、そんな街の誇りや、人々のひたむきな願いを未来へ繋ぐ、大切な結節点だったのですね。
画面越しに見つけた、新旧が溶け合う一瞬
川面を滑ってくる風は、わずかに草の匂いを含んで、歩いて少し火照った肌に心地よく馴染みます。ポケットからスマホを取り出して、この穏やかな空気ごと、画面の中に閉じ込めてみました。
液晶に映し出されたのは、近代的なマンションの合間に、古い蔵や瓦屋根が寄り添う、どこか懐かしくて温かい景色です。ピントを合わせた瞬間、足元から微かな振動が伝わってきました。それは単なる車の音というよりも、かつて旅人たちが歩みを止めず、力強くこの場所を通り過ぎていった、長い時間の足音のように思えてなりません。
キラキラと水面に反射する光。かつて晒されていた麻の繊維が、今も光の粒となって踊っているような、清らかな時間が流れていました。
時代の波を越え、未来へと歩みを支える
今はもう、麻の白さが川を染めることはありませんが、橋が私たちを見守るまなざしは変わりません。
かつて太田川の本流だったこの場所は、今では洪水から街を守る「遊水地」として、静かにその役割を果たしています。昭和の架け替えから今日まで、この橋は私たちの何気ない日常を足元から、そっとけれど力強く支え続けてくれているのです。
古市から中筋へ…一歩踏みしめるごとに、広島が歩んできた確かな重みが伝わってきます。 その橋の主役、その名は――
「松原橋(まつばらばし)」
橋を渡りきりふと振り返ってみると、夕日が欄干に反射して、かつての麻のように白く優しく輝いて見えました。
何気ない散歩の途中で出会ったこの橋に、これほどまで深く、温かな歴史が息づいていたなんて。その物語を識った今、いつも見ていた景色が少しだけ鮮やかに、愛おしく見えた気がします。「あそこに行けば何があるんだろう」という好奇心を持って歩くだけで、広島の街はこんなにも豊かな表情を見せてくれるのですね。
これからも、この街に眠る素敵な記憶を、自分の足でもっと探しにいこうと思います。次はどの道を歩き、どんな景色に出会えるのか。そんな期待が、胸の奥にゆわっと広がっていくのを感じた、素敵な休日の午後でした。


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